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Author:Yagi Tatsuuuya
現在:中東諸国
年齢:25
趣味:球蹴り・球就き・はたまた旅
現状:分岐点に立つ

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2015年1月10日

こんばんは。
昨日は更新を怠ってしまいました。
その理由は、十日戎(実際には前福ですが)に行っていたからです。

電車で10分のところに今宮戎があり、
今年の商売繁盛を友達と祈って参りました。

今日は「祈り」について考えたいと思います。

イスラム教はアッラーに祈り、キリスト、聖母マリアへ祈り、
ユダヤ教はヤハウェに祈ります。
これは人々の結束を固める側面もあると思います。
同じものを信じる事で、隣の人も仲間だと認識したり、
生活習慣を共有する事で、お互いに安心感を持つ事が出来ると思います。

ですが、人間は元々「祈る」生き物なのではないでしょうか?

ここからは想像ですが、縄文時代、狩りに行く男たちの無事を、
女性陣は祈っていたのではないかと思います。
祈るべき方向(神様)は特になくても、
自分の思いが自然や神を超越した何かに届いたとき、
それは叶えられると思われていたかもしれません。

たとえ色々な宗教が誕生していなくても、
僕たちは祈ることを止めなかったと思います。

そこに理屈は存在しないと思います。
もしかしたら自分を納得させるための手段なのかもしれませんが、
そんなことを言ってはロマンがありません。

ただ、「祈る=想う」という事も言えるのではと思います。
誰かの無事を祈ったり、誰かの幸せを願うとき、
それはその人の事を「想っている」時間そのものなのかもしれません。

とても素敵ですね。
そうやってお互いに想い合い、繋がれるとしたら、
自分は一人ではないという確信になるかもしれません。

話が逸れましたが、
祈ることで様々なことのきっかけになると思います。
祈るだけでは世界は平和になりませんが、
それをきっかけとして、想いを持ちながら行動を起こせば、
変えられるものもあるんじゃないかと思います。

それが「祈る」ことの真意なのかもしれないなと思いました。
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